東西の古典を、きわめて平易な現代語に訳出する試みです。
意によって大幅に構成を改編し、読みやすくするために潤色を施しています。

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超訳【夢中問答】

第16話 ヘボい坊さんでも悪口禁止!?

2011.1.4(前段初出:2007.6.13)

足利直義:「なんだかんだ言ってますけどね、最近の坊さんたちときたら、どうでしょう。
金儲けにばっかり走りやがって、まったくロクなもんじゃありません。
終わってますよね、ハッキリ言って。

あんな連中を有り難がって、寺を建てて住ませてやった挙句、金まで渡して、しかも修理するのも我々だって?!
おかしいでしょう!そんなの・・・

とか言ってる人がいるんですけど、和尚はどう思われますか?」

夢窓国師:「いやいや・・・ まぁ確かに、坊さんに限らず今どきの連中は昔の人に比べるとレベルが低いのばっかりじゃ。
しかも、年を追うごとにドンドンしょうもなくなっていくばかり。

しかし、「前任者よりも出来がよいヤツがいないから」といって皆切り捨ててしまったのでは、役人も兵士も誰も成り手がいなくなってしまう。

一応その職業に就くつもりで幼い頃から教育を受けてきた人、まぁつまり「世襲」の連中なのじゃが、は、「出来が良い」とはとても言えないまでも、なんとか体裁を保つぐらいの役には立つもんじゃ。

政治家の連中などその最たるもんじゃ。

で、坊主どももそれと同じで、先の師匠を超えることができた人などほとんどおらんのじゃが、一応、まぁ、仏教とか禅とかを今に伝える役には立ってきておる。

生身のブッダがいた時代は彼に直接話を聞けばよかったのじゃが、いなくなってからは、その教えを直接受けた人たちに話を聞くしかないじゃろ?

そしてその人たちすらもいなくなってからは、その弟子たちがまとめたテキストを読むとか、絵やフィギュアにしたものを眺めるとかしか、教えの内容を知る方法がないのじゃ。

本当のことを言えば、ブッダ説くところの「究極の真実」は、今も昔も変わることなく宇宙を満たし続けているのじゃ。

ところが、人間のデキが悪化していくもんじゃから、どんどんそのことがわからなくなっていく。

それでも、たとえ形だけでもブッダの教えを追い続けることによって、なんとか場をつないでいるというわけなのじゃ。

ブッダもブッダの本当の教えも、とっくに滅び去ってしまった。

そして、全世界を救済するというマイトレーヤ(弥勒菩薩)は、まだ出現していない。

そんな中途半端な時代に生まれた我々が、それでも救いを求めようとするならば、いったい何を頼りにしたらよいのか?

形ばかりのものでも、無いよりもマシではないのかな?

それにじゃな、坊さんばかり批判するのも間違っとるぞ。

もしも「功徳」の多寡が「信心深さ」の浅深によって決まるのだとするならば、ブッダが実在するとかしないとかに関わらず、今だって充分に大量の功徳を得ることができるハズじゃ。

ある坊主の人格がくだらないからといって、信心まで失うというのは、冷静に考えてみれば決して正当化できないことはわかるよな?

自分の居住エリアを担当する坊主が、「ブッダや伝説上の菩薩たちに比べてしょうもないから信じられない」というのであれば、どれほど丹精込めて造ったところで仏像や仏画だって所詮は単なるモノじゃ。

生身のブッダに勝る仏像があると思うか?

お経だってそうじゃ。

「所詮、真実はテキスト化することは不可能である」ということが書かれた書物を、皆で有り難がっているわけなのじゃが、これも冷静に考えてみればおかしな話じゃ。

しかし、「こんなものニセモノだ!」とばかりに捨ててみたところで、何かよいことがあると思うか?

「生身のブッダがいない以上、お経も仏像も坊主も全部役立たずのニセモノだ!」とばかりにほっぽり捨ててしまうのが正しいやり方だと思うか?

大集月蔵経というお経には、次のように書かれておる。

「私がいなくなってからの遠い未来、ルールを無視してやりたい放題というヒドイ坊主が必ずあらわれることだろう。

しかし、そんなデキの悪い坊主でも坊主は坊主、仏の弟子なのだ。

それをバカにするのは仏をバカにすることだ。

それをキズつけるのは仏をキズつけることだ。

逆にそれを敬うならば、大量の福が得られること疑いなし!

純金はとても貴重なものだが、金がなければ銀が、銀がなければ銅が、銅がなければ鉄が、鉄がなければ錫や鉛の合金が、一番貴重なものとなる。

仏が一番尊いのは言うまでもないが、仏がいなければ菩薩が、菩薩がいなければ羅漢が、羅漢がいなければモノの道理を理解した一般人が、モノの道理を理解した一般人がいなければルールを守れる一般人が、ルールを守れる一般人がいなければルールを守れない一般人が、それすらもいないということであればカタチばっかり坊主の人が、一番尊いのだ。

悪魔や外道のたぐいに比べれば、できの悪い坊主の方がまだマシなのだ。

みんな、色々と言いたいことがあるだろうが、仏教を存続させるためには仕方ないのだよ。」

つまり、近ごろの坊主のデキが悪いのを見てそれを嫌うというのは、当の仏さまの意志にもそむくことになるのじゃ。

たとえば、酒を飲んで酔っ払えば、目はクラクラして足はもつれ、ロレツもまわらなくなって正常な判断能力もなくなるのはお前さんもよく知っているじゃろ?

そういったデメリットがあることを知った上でも酒を愛するのが、真の酒好きというもんじゃ。

「酔っ払って失敗するからなぁ」と言って酒を嫌うのは、単なる酒嫌いであるに過ぎない。

つまり、「坊主のデキが悪いから嫌い」などと言う人は、単なる仏教嫌いなのじゃ!

施しをする者のことを、「福を産出する田」という意味を込めて「福田」と呼ぶ。

そしてそれには2種類ある。

立派な人や偉い人を心の底から尊敬して施しをするのを「敬田」と呼び、逆にもうどうしようもない連中や動物たちをあわれに思って施しをするのを「悲田」と呼ぶ。

つまり、どうしようもなくバカでゲスな坊主であったとしても、それに対して施しをすれば「悲田」の功徳がゲットできるのじゃ。

・・・納得できんか?

それではこんな例えではどうじゃ。

ただの木切れは別に善でも悪でもない存在じゃが、これを仏さまの形に彫刻し、あたかも本物の仏さまに対するように敬ったとしたならば、本物の仏さまを敬ったのと同じだけの功徳がゲットできる。

逆に、「こんなもの、結局ただの木切れじゃないか!」とばかりに粗末に扱ったならば、本物の仏さまを粗末にしたのと同じぐらいのバチがあたることじゃろう。

ただの物質である木切れでさえ、そうなのじゃ。

ましてや、意思をもった人間ならどうなるか考えても見ろ!

どれほどデキが悪い坊主だったとしても、人びとが心から敬うならば「福田」となり、粗末に扱うならばロクなことにはならんことは疑いないとは思わんか?

「梵網経」には、「羅漢を500人集めようとするヒマがあったら、誰でもよいから身近な坊主を敬うことだ。その方が余程ためになるのだから。」と書かれておる。

まぁ、「重要なテーマに関する講義をしてもらう目的で、人格者を招聘するのはかまわない」とも書かれておるのじゃがな。

話を戻そうか。

坊主のデキの悪さを散々あげつらっておきながら、「オレは別に坊さんじゃないから、いいんだもんね!」などと考えていたとしたならば、それはとんでもないヒネクレものじゃ。

死んでエンマさまの前に引き出された時、「いや、こいつは確かに散々悪いことをしていたが、別に坊さんじゃないから構わんよ」とばかりに地獄行きを免除してもらえるとでも思うかな?

仏教が、「仏弟子のデキの悪さを責めないでください!」と教えるのは、身内をひいきしようというのではない。

他人の過失をあげつらうことでその人自身が地獄に近づくことを、防止しようとしてくれているのじゃ!

・・・まぁ、そうは言っても、ワシだって別に、ルール無視でやりたい放題の坊主どもの肩を持つつもりはないがな。

一般人は坊主の非道な振る舞いをあげつらい、誹謗することの罪が自分に蓄積されていることに気づかない。

かたや坊主は、「僧侶の悪口を言うとはなんとバチあたりな連中だ!」とプンスカ怒るばかりで、自分の振る舞いが非道であることを忘れている。

もしも、この坊主の気持ちを一般人に、一般人の気持ちを坊主につけ替えることができたなら、どれほど濁りきった世の中であっても、徐々に澄んでくることは間違いないのじゃがな・・・

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