超訳【維摩経】
第31話 維摩、菩薩の「最終修行」について語る
2007.3.17
文殊が口を開きました。
「すみません、ちょっと話を戻させてください。
改めて言うまでもなく、私もあなたも既に様々な「悟り」をひらいて超能力を得た、「菩薩」と呼ばれる一種の超人なわけですが、そんな「菩薩」は、いったいどうやったら最終的に「仏の道」を究めることができるのでしょうか?」
維摩は答えました。
「さまざまな修行によって心身を鍛え、知恵を磨き、それによって神にも等しい能力を駆使できるようになった者、それが我ら「菩薩」と呼ばれる者たちじゃ。
そんな「菩薩」の最終修行、それは「非道」を志向することじゃ!」
文殊:「「非道」を目指せですって!?
そ、それはいったい具体的にはどういうことなのでしょうか?」
維摩:「最低の極悪人たちと付き合いながらも悩んだり怒ったりしない。
地獄へ落ちても罪にけがれずにいる。
どうしようもないバカモノどもの中で暮らしても、バカがうつることもなく、かといって周囲をバカにすることもない。
欲望の権化みたいな連中と一緒にいても、つられて自分の品性を下げることもない。
みごとな色や形に満ち溢れた領域、またはそういった物質のない領域に行っても、これといってそれらが優れているとも思わない。
貪欲なまでに活発に行動するけれども、貪欲に染まることがない。
激怒しているそぶりを見せることはあるけれども、実は全く怒ってはいない。
むっちゃアホなことをしでかして見せるけれども、実はとても高度な知恵によってそれをやっている。
ケチケチしたりするけれども、実は全ての持ち物はおろか、命さえも惜しまない心意気だ。
バリバリのルール違反を連発するけれども、実はとても清らかな心持ちで、どんなちっぽけな罪であろうとも決して犯さないようにいつも注意している。
ありえないほどサボっているように見えるけれども、心の中は誰よりも勤勉に修行している。
トチ狂ったようなふるまいに及ぶけれども、実はきわめて冷静な心を保っている。
役に立たないボンクラのようにしか見えないけれども、実は世情に長けており、その実務能力は最高クラスである。
おべんちゃらを使って人をだましているように見えるけれども、実は仏教の最終目的に近づくように綿密に計算された行動である。
周囲のものをバカにしているように見えるけれども、困っている人がいれば、無言で助けを差し伸べる。
(中略)
年老いたり病気にかかったりしてみせるけれども、実はとっくに死のおそれを超越している。
大金持ちであるけれども、それが永遠の姿であるなどとは決して思わず、謙虚な気持ちを持っている。
たくさんの妻を持ち、妾を山盛りに囲って、大勢の美人メイドをはべらせていたとしても、欲望に支配されることがない。
無口で不器用そうにみえるけれども、実はとっても弁舌さわやかで記憶力も確かである。
トンデモない外道の教えを全部受け入れながら、その上で正しい場所へ皆を連れて行くことができる。
・・・とまぁ、言い出したらキリがないわけなのじゃが、「菩薩」が「非道をゆく」というのは、要するにそんな感じじゃよ。」
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