超訳【維摩経】
第38話 菩薩たちの意見発表1
2007.8.5
菩薩たちの「発表会」は続きます。
菩薩5:「「動く心」と「動かない心」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「「心」は動いたり動かなかったりするようなものではない」のだということを知りました。
「心」のハタラキがない以上、「全ての事象は平等」となります。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩6:「「存在する」と「存在しない」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「存在しない」ことが「存在する」のだということを知りました。
「アル」も「ナイ」も同列に扱ってかまわない。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩7:「「救おうとする心」と「救いを求める心」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「「心」はマボロシのようなものだ」ということを知りました。
「心がマボロシである」以上、「救おうとする心」と「救いを求める心」は全く同じものであるということがわかります。
どちらも等しく「マボロシ」なのです。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩8:「「善」と「悪」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「善悪は存在しない」のだということを知りました。
「善」は「悪」を前提とし、「悪」は「善」を前提とした概念だからです。
もし、あるものを「善」としたならば、そうではないものは全て「悪」となります。
「善」が滅びた時、「悪」もまた滅びます。
その逆もまた同じです。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩9:「「有罪」と「無罪」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「そもそも「罪」などというものは存在しない」のだということを知りました。
「罪」が存在しなければ、その「有無」を問う議論は無意味となります。
「縛られることがない」以上、「解放されることもない」のです。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩10:「「煩悩」と「悟り」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「煩悩こそ悟りである」のだということを知りました。
言い換えるなら、「煩悩も悟りも存在しない」のです。
というか、そんなことぶっちゃけ「どうでもいい」のです。
これこそ「絶対」の境地です!」