事業本部長(以下、部長):「朝晩に加えて、日中もだいぶ涼しくなったなぁ。もうすぐ秋か・・・
ところでどうだ? 「超訳・夢中問答」の執筆ははかどっておるのかな?」

作家:「ええ、まぁボツボツと。だいぶノリも思い出しましたし、前後の脈絡もつながってきました。
あとはまぁ、ひたすら書くだけかと。」

部長:「おお、それは何よりだ! 実は先ほど、今までにテキスト化された部分を、試しに書籍の体裁にしてみたのだよ。そうしたらなんと、50ページ近くの分量になった。20話もないのにこの分量だから、最終話まで全部訳せば250ページを余裕で超える計算だ。大作の予感バリバリではないか!」

作家:「ですねぇ、執筆に費やした時間だけでみれば、もうすぐ「金剛経」を仕上げるのに要したのと同じぐらいになりますよ。あれ、本体だけだと60ページもないですからね。・・・まぁ、分厚ければよいというものでもないわけで、「金剛経」における哲学的到達点の高さは実に恐るべきものなのですが。」

部長:「うん、ワシもそう思う。本当のことを言えば、言葉や文章など、長ければ長いほど失敗に近づくのだ。ワシが「長編」嫌いなのは、なにも飽きやすい性格だからというわけではなく、冒頭ないしは最終章、もっというなら「後書き」だけ読めば済むような内容のものを、何百ページもにわたって引き伸ばしてあることにウンザリしているからなのだ。
もちろん、「長編」であっても内容の濃いものはたくさんあるのだがな。」

作家:「同感です。巷に溢れる「ただ長いだけ」の文章は、本来内容がないものをさらに薄めて、思いっきり引き伸ばして作られているわけですが、名作「長編」の場合は、印刷された文字以上のさらに膨大なインフォーメーションとメッセージ、つまり情報量をその背後に秘めているのです。
つまり、つまらない「長編」の正体は「超短編」に過ぎず、傑作「長編」の正体は、膨大な「長編」を高度なテクニックによって圧縮したものであるのです。
つまらない話はどうやっても膨らましようがありませんが、優れたテキストはそこからさらに何倍にも膨らますことができて、かつ味が薄まることもありません。
そしてそれこそが、私の「超訳」の源泉なのですよ。」

部長:「なるほどな。今回の「夢中問答」は、90話以上ある比較的長編だが、一問一答形式を取っているおかげで一話ごとのまとまりがあり、間延びすることがない。なんとか最後まで書ききって、年内には出版に漕ぎつけたいところだなぁ。
過去の3作は原文が中国語であったが、今回は初めて日本語からの超訳であるわけだし、我らが「ぶんちん堂」としてもエポックメイキングなものとなるのは確実なのだから。」

作家:「日本語、といっても古文に近いですけどね。(苦笑)
まぁ、秋の夜長を利用して、淡々とやりますよ。清涼なる秋月のごとき文章の「冴え」を、せいぜいご期待くださいませ。」

部長:「おお、なんと頼もしい!!
 それではこのあいだ発売されたビール、もとい発泡酒の「冴」をケースで買ってくるとしよう。今晩は大作完成の前祝だ!!

作家:「気が早すぎますよ・・・(苦笑)」

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