超訳【維摩経】
第37話 維摩、菩薩たちに「絶対の境地」をたずねる
2007.8.4
維摩は菩薩たちの方に向き直ると、こう言いました。
「さて、オマエさんたちに質問しよう。
オマエさんたちは皆、それぞれに悟りを得て、人間の限界を超越することに成功した「菩薩」じゃよな?
世の中「なんでもアリ」だとする果てしのない「相対化」の末に、オマエさんたちがたどりついた「絶対」の境地を聞かせてはくれまいか?」
菩薩1:「「発生」と「消滅」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「何も発生することはない」のだということを知りました。
それはまた同時に「何も消滅することはない」ということを意味します。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩2:「「わたし」と「わたしのもの」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「「わたし」などというものは存在しない」のだということを知りました。
それはまた同時に「「わたしのもの」などというものは存在しない」ということを意味します。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩3:「「受け取る」と「受け取らない」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「受け取る」とか「受け取らない」とかを一切考慮しないことこそが「何も受け取らない」ということなのだと知りました。
これこそ「絶対」の境地です!」
菩薩4:「「汚れたもの」と「浄らかなもの」、この2つこそが最も根本的な対立です。
そこを突きつめて研究した結果、私は「浄らかなもの」とはあるものに「浄らかななにか」がくっついた状態をいうのではないということを知りました。
同様に「汚れたなにか」がくっついた状態としての「汚れたもの」など存在しません。
これこそ「絶対」の境地です!」
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