別訳【維摩経】
第59話 シャーリプトラ、感激を表明する
2007.12.29
世尊は聴衆たちに言いました。
「そら、オマエたち。
見たか?
美しい「妙喜世界」を見たか?
見た目ばかりでなく、そこで暮らす人々の行いや心も美しいのを、ちゃんと見たか?」
約1000万人の聴衆は一斉に答えました。
「見ました!確かに見ました!」
世尊は言いました。
「はい、よろしい。
もしも「この世界で暮らしたい」と思うなら、不動如来のやり方をしっかり研究して身につけなさい。」
それを聞いて、聴衆の誰しもが「妙喜世界」で暮らしたい、と強く願いました。
世尊は言いました。
「はいはい、行けるとも。
オマエたちは全員、あの世界に行くことができる。
私が保証するよ。
絶対行ける!
・・・時期については、まぁ色々あるけどね。」
「妙喜世界」が、ふたたび元の場所へ返却されると、世尊はシャーリプトラにたずねました。
「なぁ、どうだった?
見ただろう?あの「妙喜世界」や「不動如来」を。」
シャーリプトラは言いました。
「ハイ、見ました!すっかり見ました!
いやもうなんというか、最高にクールでホットです!!
私も不動如来のようになりたい!
維摩さんのようになりたい!!
世の中のみながそうなれば、どんなにか素晴らしいことでしょう。
・・・それにしても、今回は実にありがたい経験をさせていただきました。
一連のできごとによって、我々は大きく成長できたような気がします。
今後、たとえ仏様がいなくなった後だとしても、人々がこのできごとを聞いたなら、必ず良い影響があるハズです。
聞いて、信じて、理解して、人にも伝えて、自分でも実行することができたなら、なおのことです。
これを記録した書物を手にしたなら、それはもう「宝の山」を手中にしたといえるでしょう。
内容を理解して実行するものには、必ず神仏のまもりがあるでしょう。
それを実行する人をサポートするなら、それは仏をサポートすることと同じです。
これを記録した書物を持っている人の本棚には「如来」がいると言えるのです。
この話を聞いて喜ぶ人がいたなら、その人はすべてのことを知る智慧を得たと言えるのです。
この話の、例えば一部分だけでも信じて理解して、ほかの人に教えてあげることができたなら、それはもう「究極の悟り」を得ることが保証されたも同然です!」