別訳【金剛経】
金剛経の原題(Vajracchedika-prajnaparamita-sutra)を見てみると、「金剛」を意味する語(vajra=バサラ)に「断ち切る」という意味の語(cchedika)がくっついています。本来「能断金剛般若波羅蜜経」と訳すのが忠実なのですが、長いので省略されたのでしょう。
しかし、タイトルが「金剛経」である以上、きっとこのお経は「金剛」というものを解説しているのだろう、燦然と輝く「究極の真理」を、何ものにも傷つけられることのないダイヤモンド(金剛石)の堅強さと輝きに譬えて賞賛しているのだろう、と思っていたのに、いきなり「断ち切る」のだという。
素直に考えれば、「あれこれとややこしい煩悩や執着を、スパッときれいに断ち切ってしまう宝刀」=「究極の真理」となるので、このお経こそが「金剛」であり「断ち切るもの」であるということになります。
しかしこれを「断ち切られるもの」であると考えると、このお経で説かれている「金剛」とは、いったいなんのことなのでしょうか?
底本は鳩摩羅什訳の「金剛般若波羅蜜経」ならびに中村元氏によるサンスクリット原文からの邦訳です。
章立ては、底本が昭明太子(梁の武帝の息子)作と伝えられる伝統的な「三十二分」に拠っているのに従いました。
「この訳が正しい」などとは、おこがましくてとても申せませんが、あくまでも読み物としてお楽しみいただけたなら幸甚です。
用語解説:金剛経(こんごうきょう)
※従来「超訳【金剛経】」として全文を公開して参りましたが、今般、「別訳【金剛経】」として新装改訂版を発行するにあたり、一部をのぞき非公開とさせていただきました。
新装改訂版はぶんちん堂 Web Shop でお求めいただけます。
別訳【金剛経】目次
第1話 イントロダクション (法会因由分)
第2話 ブッダ、語り始める (善現起請分)
第3話 すべてを救うために (大乗正宗分)
第4話 見返りを期待するな! (妙行無住分)
第5話 ものごとの正しい見方について (如理実見分)
第6話 いつの時代にも信じてくれる人はいる (正信希有分)
第7話 教えない、教わらない (無得無説分)
第8話 全てを生み出すもの (依法出生分)
第9話 肩書きは肩書きに過ぎない (一相無相分)
第10話 とらわれない心を持つべし (荘厳浄土分)
第11話 どちらが多いか? (無為福勝分)
第12話 仰げば尊し (尊重正教分)
第13話 究極の真実 (如法受持分)
第14話 そして君たちは (離相寂滅分)
第15話 馬の耳に念仏 (持経功徳分)
第16話 イジメられてもメゲることはない (能浄業障分)
第17話 自分はいない、他人もいない (究竟無我分)
第18話 流れを見切れ! (一体同観分)
第19話 「する」ことは「しない」こと (法界通化分)
第20話 真実と外見は関係ない (離色離相分)
第21話 「教え」も「人」も存在しない (非説所説分)
第22話 得るものはない (無法可得分)
第23話 完全なる平等の実現方法とは (浄心行善分)
第24話 くらべようもなく素晴らしいこと (福智無比分)
第25話 私は誰も、何も救わない (化無所化分)
第26話 外から見ても、わからない (法身非相分)
第27話 何も滅びないし、断ち切らない (無断無滅分)
第28話 成果の配分にこだわるな (不受不貪分)
第29話 行かない、来ない (威儀寂静分)
第30話 部分と全体は同じではないし、違うものでもない (一合離相分)
第31話 真の「理解」とは (知見不生分)
第32話 偉大なる結論 (応化非真分)
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