別訳【無門関】
「無門関(むもんかん)」は、中国宋代(西暦1200年頃)に編まれた禅宗の書物であり、いわゆる「公案集」の中でも抜群の知名度を誇るテキストです。
「公案」は、いうなれば普通に読んでもまず意味がわからない「シュール」なやりとりが主体のナゾナゾであり、言語や言動の発生以前に思考をさかのぼらせない限り、理解することは困難なように作られているのが通例で、この「無門関」に掲載されている四十八のお話も、なかなかにぶっとんだやりとりのオンパレードとなっています。
禅宗は「仏をぶっ殺してこそ一人前」といった言辞にあらわされるように、何かに頼ったりもたれかかったりしたいという人間の「弱さ」を超克し、宗教的「主体性」を自らの手に取り戻そうとするところに特徴があり、それがまた魅力であると思っています。
「無門関」の著者である無門慧開(むもんえかい)禅師は、今から800年前の南宋をかけぬけた快僧ですが、とにかく口が悪く、乱暴な言葉を叩きつけてきます。
でもそれが、彼の先師に対する深い尊敬や愛慕の念から生じる独特の愛情表現なんだと考えて読むとなかなかに愉快で、「こんなものシロウトの手におえるわけがない」ということは重々承知の上で、筆者が晩酌ついでに書きあげた次第です。
執筆にあたっては岩波文庫版「無門関」(西村恵信訳注)を底本とし、角川文庫版「無門関」(古田紹欽訳注)を参考に、理解が足りないと思われる時は、岩波文庫版「碧巌録」に掲出のある類例を参照しました。
特に西村恵信氏の訳注は素晴らしく、私などが付け加える部分などあろうハズもないのですが、数十年前の日本語すらまともに読めない人の多くなった状況化にあって、方便の一環として「超訳」化させていただく無礼をお詫びするとともに、感謝の意を表したいと思います。
<告知>『別訳文庫無門関 Kindle版』(定価280円)が発売されました。
これに伴い、以下の目次に下線があるもの以外のテキストを非公開とさせていただきますので、悪しからずご了承くださいませ。
※紙の書籍版は 引き続きご注文いただけます。
別訳【無門関】目次
◆無門禅師による前書き
第1話 趙州和尚とイヌ 「趙州狗子」
第2話 百丈和尚とキツネ「百丈野狐」
第3話 倶胝和尚の指一本「倶胝竪指」
第4話 ヒゲなしのインド人「胡子無鬚」
第5話 香厳和尚が樹の上で「香厳上樹」
第6話 おシャカさまのパントマイム 「世尊拈花」
第7話 趙州和尚の食後の片付け 「趙州洗鉢」
第8話 車を発明した奚仲さん「奚仲造車」
第9話 ゴッド・オブ・オールマイティ「大通智勝」
第10話 清税和尚のビンボー自慢 「清税孤貧」
第11話 趙州和尚のオーディション 「州勘庵主」
第12話 巌和尚のひとりごと「巖喚主人」
第13話 徳山和尚がいったりきたり 「徳山托鉢」
第14話 南泉和尚のネコ殺し「南泉斬猫」
第15話 洞山さんと三つの質問「洞山三頓」
第16話 鐘が鳴ったら食事の時間「鐘声七條」
第17話 慧忠国師は三度呼ぶ「国師三喚」
第18話 洞山和尚の三斤の麻布「洞山三斤」
第19話 「平常」こそ「道」「平常是道」
第20話 エネルギー充填120% 「大力量人」
第21話 雲門和尚のたとえ話「雲門屎厥」
第22話 迦葉尊者の店じまい「迦葉刹竿」
第23話 善ではない、悪でもない「不思善悪」
第24話 言葉にできない 「離却語言」
第25話 オマエの番だ!「三座説法」
第26話 どっちがNG?「二僧巻簾」
第27話 心じゃない、仏でもない 「不是心佛」
第28話 大河の一滴「久嚮龍潭」
第29話 動くのは何だ「非風非幡」
第30話 仏って何「即身即佛」
第31話 趙州和尚と婆さん「趙州勘婆」
第32話 外道とお釈迦さま「外道問佛」
第33話 心じゃない、仏でもない2「非心非佛」
第34話 「道」は智慧とは無関係「智不是道」
第35話 幽体離脱? 「倩女離」
第36話 もし達人に出会ったら「路逢達道」
第37話 庭先の柏の樹「庭前柏樹」
第38話 窓から見る牛「牛過窓櫺」
第39話 そのままやんけ!「雲門話堕」
第40話 住職の選び方「趯倒浄瓶」
第41話 心の安らぎとは「達磨安心」
第42話 マジックバトル「女子出定」
第43話 これ、何ですか? 「首山竹篦」
第44話 杖を持っているか?「芭蕉拄杖」
第45話 アイツは誰だ?「他是阿誰」
第46話 ながーい竿のテッペンで 「竿頭進歩」
第47話 ファイナルアンサー「兜率三関」
第48話 涅槃への一本道「乾峰一路」
◆無門禅師による注意書き
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