東西の古典を、きわめて平易な現代語に訳出する試みです。
意によって大幅に構成を改編し、読みやすくするために潤色を施しています。
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好雪ひらひら

【天王山の怪】6.ちゃわんころび

2005.8.8

 
もうそろそろ天王山ネタも尽きてきたのだが、これは、実は個人的に(4)の話と並ぶか、あるいは一番怖かった出来事である。
 
(1)の話で登場した天王山登山の入口の急坂。
 
もう既に真っ暗だったので、宝寺で折り返すつもりで足を進めていた。
 
かなり上の方まで登り、もうすぐ宝寺の石段が見え始めようかという辺りまできた時のことだ。
 
前方の真っ暗な坂の上から、何やら聞こえてくる。
 
カラカラカラ・・・カラカラカラ・・・
 
何と表現したらよいのだろう。
空き缶の転がる音が近いかも知れない。
 
その音はどんどん、どんどん近づいてくる。
私に向かって、まっすぐに。
 
最初はそんなに気にもとめていなかったのだが、ふと昔読んだ信州の怪談を思い出し、一気に冷や汗が吹き出した。
 
今、ネットで検索してみたのだが、うまく探せなかった。
「ちゃわんころび」という話だ。
 
手元に原本があるので、以下に謹んで引用させていただく。
(一部省略しています)

「伊那市の羽広のぶらくから、北のぶらくへいくとちゅうに小さな板の橋があってな。そこをわたりおえると、あとは坂になっていたそうな。そのあたりは、昼間でも木がいっぱい茂っていて、とおるにも気味のわるいところだったと。
それが、ただ気味が悪いというだけじゃなかったんだな。なんでも「ちゃわんころび」という、ばけものが出るというんだ。
さびしい夕方や、月や星のない暗い夜にな、その坂の辺りまでくると、カラカラ・・・コロン・・・カランコロン・・・とちょうど、ちゃわんをころがすような音が聞こえてくるだとよ。
そんな音がもし聞こえてきたときにゃあ、もう、みんな真っ青になってな、ちからいっぱい逃げ出したもんだそうな。
なんでも、「ちゃわんころび」は、人をとって食ってしまうというんでな。でも、だれひとりとして、その正体を見たものがないんだそうだ。
それだけに、いっそうこわかったんだな。
おばあさんは、今でも、ふっと夜中に目が覚めたときなど、そいつがやってくるような気がしてならないと。」
(「信州のこわ~い話」郷土出版社刊より)

 
逃げるべきか?
・・・いや、今どきそんな話があるわけがない。
ここはひとつ、見届けてやろう。
 
というより、実は足がすくんで動けなかったのだが・・・
 
幸いなことに、私はちょうど数少ない街灯の明かりの中に立っていた。なにかが出現すれば見ることができるはず。
 
音はどんどん近づいてくる。
私に向かって、前方の闇の中からまっすぐに。
 
カラカラカラ・・・カラカラカラ・・・
 
もうすぐ目の前まできた。
下腹に力を込めて胆力を強める。
 
カラカラカラ・・・カラカラカラ・・・
 
なにも見えなかった・・・
その音は、私をすり抜け(一瞬、左右同時に聞こえた)、後方の坂の下へと走り去った。
 
その後、宝寺まで行ったのかどうか、実は全く記憶がない。
とにかく家には帰り着いたのだが。
 
数日間、あのカラカラカラ・・・という音が耳にこびりついて離れなかった。
 
その坂道は、両脇に側溝がある。
だからきっとその中を空き缶が転がっていただけなのだ。
と、自分に言い聞かせてはいるのだが、その側溝は数カ所をのぞいて全部厚いコンクリートのふたで覆われており、現場にはまったく開口部はなかった。
なにかが転がってきたなら、目視できない筈がないのだ。
 
それにあの音は、地面の中から聞こえる類の音ではなかった。
とても明瞭で、乾いた高い音だった。
 
とりあえず、私は食われなかった。
恐らくは、狐狸の類のしわざであろう。
 
ただ、むっちゃ怖かった・・・
 

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