別訳【祖堂集】
祖堂集メモ(1)落浦和尚
2012.1.21
◆凡聖不尽
問う、凡聖不到の処は即ち問わず、凡聖を尽くさざる処如何ん。
師云く、師子窟中に異獣無く、象王行く処に狐蹤勿し。
Q:「大聖人とボンクラ野郎のどちらもが行き着くことができない境地の話はまぁ置いておくとして、大聖人にもボンクラ野郎にもなりきれない中途半端な我らはいったい、どうしたらいいんでしょうかね?」
A:「オマエなぁ、ライオンの棲む穴で他の動物が一緒に暮らせると思うか?
チンケな獣たちは巨象の足音が聞こえただけで逃げ去ってしまうというのに。」
◆祖意教意
問う、祖意と教意と還た同か別か。
師云く、群を出て角を載せず、三韻況んや同ずること難きをや。
進んで曰く、投機憑意の句、焉んぞ同輪ならざるを得ん。
師云く、舂かに抜きんでて海底を測る、三湘は深さ酌む可し。
Q:「教科書に載っていることは全て真実と考えていいのでしょうかね?」
A:「激烈な受験戦争を勝ち抜いてきたクセに、そのぐらいのこともわからないとは・・・
そんなんじゃ、私がここで「教科書に載っていることもいないことも、どちらも真実だ」と答えたところで到底理解できまい。」
Q:「いやいや、なんでそうなるんですか。ちゃんと質問に答えてくださいよ!」
A:「オマエ、海の本当の深さが計測可能だと思うか?
そこら辺の川の深さならともかく。」
◆沙門行
問う、如何なるか是れ沙門行。
師云く、仏に逢うては驀頭に坐す。
問う、忽ち和尚に遇う時如何ん。
師云く、闍梨の来たる時は老僧は不在なり。
Q:「熱心な学生の取るべき態度というのは、どんなものなのでしょうか?」
A:「良い教師をちゃんと見分けて、最前列ど真ん中の席に座るべきだな。」
Q:「現に今こうやって和尚の目の前に来ているわけですが?」
A:「オマエみたいなのが来るなら休講だ!(苦笑)」
◆万法帰一
問う、万法は一に帰す。一は何の所にか帰する。
師云く、水を撃って波瀾を動かせば、其中に影を見ること難し。
Q:「この世のあらゆる現象は、たったひとつの偉大な原理によって動いているということですが、それではその「たったひとつの偉大な原理」は何によって動いているのでしょうか?」
A:「水に映ったものをつかもうとして手を突っ込むと、つかめないばかりか表面が波立ってしまって、それまで映っていたものまでちゃんと映らなくなってしまうぞ!」
A(別訳):「鏡に映ったものを取り出そうとして叩き割るようなことをするんじゃない!」
◆無平孤燈
問う、牛頭の未だ四祖に見えずして百鳥の花を銜えて供養す。見えし後、什摩と為てか来たらざる。
師云く、玄河泛起す雪花の浪、無平の孤燈は暗宵に明るし。
Q:「修行中は大勢の人が期待をかけてアレコレと世話してくれたのに、いざ修行が完成した途端に誰からも見向きもされなくなったのはなんででしょうか?」
A:「灯りに人が集まるのは暗いときだけだからだよ。」
◆二倶是夢
問う、量郭無涯、什摩と為てか自己を容れざる。
師云く、末期の一句、始めて牢関に到る。要津を巡断して、凡聖を通ぜず。たとい天下は忻忻たるも、老僧は独然として顧みず。
却って云く、荘周と胡蝶と二倶に是れ夢、汝道え、夢は何よりか来たる。
Q:「果てしないこの世界は「何でもあり」だというのに、「自我が存在するという意識だけは絶対に持つな」と力説されるのは、いったい何故でしょうか?」
A:「この世界の本当の姿を知ったなら、そんな質問は出ないハズ。
世間の出来事にいちいち反応していたらキリがないだろう?
世界中の人が浮かれ踊っていたとしても、ワシには何の関係もないことだ。
「私が蝶になった夢を見たのか、私になった夢を見ている蝶がいるのか」などと言ったヤツがおるが、ワシに言わせりゃ、そんなものどちらも「夢」以外の何ものでもない。
ところでオマエさん、それでは「夢」はいったいどこから来るのだと考えているのかな?」