別訳【祖堂集】
祖堂集メモ(3)九峯和尚
2012.2.4
◆人人尽請益
問う、人人尽く請益すと言う。未審し、師は何を将って拯済するや。
師云く、汝道え、巨岳還た曽つて寸土に乏しかりしや。
僧云く、与摩ならば四海より参尋するは当た何事の為にするや。
師云く、演若は頭に迷いて心自ら狂う。
師云く、還た狂わざる者ありや。師云く、有り。
進んで曰く、如何なるか是れ狂わざる者。
師云く、突暁途中に眼開かず。
Q:「人というものは皆「教えてもらいたがり」だということですが、そのような連中に和尚はどのように対応されるのでしょうか?」
A:「ハハハ、皆、あとちょこっとだけ土を足してもらえばエベレストになれると思っているんだから困ったもんだ。」
Q:「そうは言っても、世界中から「教えてもらいたがり」が集まってきているわけです。これって意味のないことなんですかね?」
A:「そういえば、「自分の顔を自分は直接見ることができない」ことに気がついて頭がおかしくなった男の話があったなぁ。おかしくならないヤツもちゃんといるというのに。」
Q:「ほう、それはいったい、どんな人なのでしょうか?」
A:「眼を閉じたままでも夜明けを知ることができるようなヤツだよ。」
◆更戴須弥
問う、如何なるか是れ学人の自己。
師云く、更に是れ阿誰ぞ。
曰く、便ち与摩に承当する時如何ん。
師云く、須弥還た更に須弥を戴するや。
Q:「学生の本質って、いったい何なんでしょうかね?」
A:「誰がどうしたって?」
Q:「いや、だから私がこうやって質問しているんですよ。ちゃんと質問に答えていただかないと!」
A:「エベレストの上にチョモランマを載せてどうする!(笑)」
◆半夜亦当午
問う、日輪正に午に当る時如何ん。
云く、半夜に似たり。
僧曰く、与摩の時、日輪は何にか在る。
師云く、正に午に当たる。
僧曰く、既に午に当たるに什摩と為てか半夜に似たる。
師云く、半夜も亦た午に当る。
僧対えて曰く、還た照燭するや。
師云く、白雲、光彩を散じ、輪中、影舒びず。
師乃ち再び頌して曰く、当午の日輪円に照らさず、却って三更を指して暫く人に示す。明暗を将て前事を消すこと莫れ、是れ燈辺の具足身ならず。
Q:「お日様が真上にきた時はどんな感じなのでしょうか?」
A:「真夜中と似たようなもんだよ。」
Q:「・・・お日様はどこへいったのですか?」
A:「もちろん、真上にきているよ。」
Q:「・・・いやいや、お日様が真上にきているのに、なんでまた真夜中なんですか?
A:「お日様は真夜中であっても真上にきているからだよ。」
Q:「真夜中のお日様はあたりを照らしてくれるのでしょうか?」
A:「いつだって照らしているよ。雲に遮られたら光が届かなくなるけどね。
たとえ真っ昼間であったとしても、見えないヤツには見えないのだ。
むしろ真夜中の方がよく見えることだってある。
周りが「明るい」とか「暗い」とかばかり気にするのは、立派な人物のやることではないぞ!」