別訳【富永仲基】
翁の文(抄):3
2006.7.9
さて、神道であるが、これは中世の人たちが仏教や儒教に対抗するために、神代の昔にかこつけて、わざわざ後づけで作ったものである。
初めに考え出されたのが「両部集合」(りょうぶしゅうごう)というもので、これは何のことはない、儒教と仏教の都合のよいところだけを抜き出して、つなげ合わせただけのものである。
そして次に、「本迹縁起」(ほんじゃくえんぎ)というものが登場したが、これは実に、神道が勢力をつけてきたのを面白く思わなかった仏教徒たちが、「表向きは神道でも中身が仏教」というものをでっちあげてしまったものなのである。
さらに、「唯一神道」なるものがでてきたが、これは、上の説に対抗して、「神道における神こそが唯一最高の神なのであって、仏は、その仮の姿に過ぎないのだ!」という主張をしたものである。
※これを唱えた吉田氏は、京都の市街地に近い神楽岡(京都市左京区)に、「伊勢の大神が突如飛来した!!」などと触れ回り、「お伊勢参り」の客を取り込むことも目論んでいる)
その後も、懲りることなく、表向きは神道でも内容が儒教だったりとか、色々な派閥が生まれ、互いに争いあっている。
これはもはや、気の毒というよりほかはない。