別訳【荘子】
3-2 料理の極意
2012.11.23
内篇 養生主3-2
今から2400年ぐらい昔、魏の国の王であった文恵君は肉料理が食べたくなって、当代随一といわれた料理人の丁さんを呼び寄せた。
丁さんが牛まるごと一頭を解体するところから始めるというので台所まで見学にいった文恵君は、そのあまりの手際のよさに驚愕した。
その手さばきはリズミカルで、調理が進むたびに道具や食材がたてる音はまるで壮大なオーケストラのごとく、そのきびきびとした立ち居振る舞いはまるで一流のダンサーのごとくであった。
感歎した文恵君は、思わず丁さんに声をかける。
「丁さん、みごと! たかが料理と思っていたが、これはもはや「技術」を超えて「芸術」の域に達しているではないか!」
丁さんはそれを聞くと作業を中断して振り向き、こう言った。
「ほう、アンタ、多少はものがわかるようだな。確かにオレ様の料理の腕前は、もはや「技術」などというチンケな言葉では表現できないものだ。これが「芸術」なのかどうかはよくわからないが、オレ様がいつも目指しているのは「道」、つまり「インナースペース」と「アウタースペース」の調和だ。この道二十有余年、ようやく納得できる仕上がりになってきたところさ!」
文恵君は唸った。
「凄い! まさか料理人に人生の極意を聞かされることになろうとは!・・・」
原文
庖丁為文惠君解牛。
手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音、合於桑林之舞、乃中經首之會。
文惠君曰、「譆!善哉!技蓋至此乎?」
庖丁釋刀對曰、「臣之所好者道也、進乎技矣。始臣之解牛之時、所見无非牛者。三年之後、未嘗見全牛也。方今之時、臣以神遇、而不以目視。官知止而神欲行。依乎天理、批大郤、導大窾、因其固然。技經肯綮之未嘗。而況大軱乎!良庖歲更刀割也、族庖月更刀折也。今臣之刀十九年矣、所解數千牛矣。而刀刃若新發於硎。彼節者有間、而刀刃者无厚。以无厚入有間、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣。是以十九年而刀刃若新發於硎。雖然、每至於族、吾見其難為、怵然為戒、視為止、行為遲、動刀甚微。謋然已解、如土委地。提刀而立、為之四顧、為之躊躇滿志、善刀而藏之。」
文惠君曰、「善哉!吾聞庖丁之言、得養生焉。」