好雪ひらひら
【天王山の怪】4.酒解神社
2005.8.7
天王山の中腹に酒解(さかとけ)神社がある。
延喜式にもみえる古社であり、現存する最古の「板倉造(いたくらつくり)」の御輿庫があったりもするのだが、現状としては「さびれている」の一言につきる。
実は古来の「酒解神社」は、とっくの昔に所在が不明となっており、明治になってから現在の場所にあったことにしたという、いかにもな話もあったりする。
この神社の手前辺りは一瞬急坂が途切れてなだらかな道であり、ほとんど手入れがなされていない竹林の中を進むようになっている。
竹藪を抜けていくとT字路があり、右に曲がるとすぐに酒解神社の境内となっている。
そのT字路のちょっと手前の辺りなのだが、何回も通っているうちにわかってきたことがある。
一見したところ何もない平地なのだが、その手前にさしかかるとどうも足が鈍る、というか「ここを通ってはいけない」という思いがよぎるのだ。
それでも日中は他に人がいたりもするので強気になり、心持ち端っこを通ったりして通過していた。
それでも、そこから遠ざかるにつれて感じる何とも言えない安堵感は説明不可能なものであった。
さて、ある日、例によって夕方山頂まで行こうとしていた。
夏で日没が遅くなっていたとはいえ、登り始めたころには既に暗くなり始めており、途中の旗立松のあたりで既に日没。
こうなってくると30分以内に下山しないと辺りは漆黒の闇となってしまうので危険だ。(それに怖い)
通常であれば、そこから5分もかからず山頂まで行けるので、ぎりぎりOKである。ピッチを早めて走り出した。
上記の竹林のあたりから、どうも様子がおかしい。「空気が変」としか表現ができないのだが明らかに今までと雰囲気が違う。
そして、問題のポイントにさしかかった。
T字路の50mほど手前である。
遮るものは何もなく、曲がり角もハッキリと見えている。
足が急に重くなった。・・・おかしい。
引きずるようにして前進するのだが、何歩か進んだところで遂に足が止まった。
進めない・・・
繰り返し言うが、ただの平地である。曲がり角もそこに見えている。なのに足が動かない。
しばし立ち尽くし、辺りを見回してみる。
もちろん何も変わったところはない。左右は竹林、地面も平らだ。強いて言うなら少しそこだけ湿ったように見える程度。
意を決し、走り出そうとしたその刹那、「ビシッ」と何かが私の眉間を打った。硬直する全身。
眉間に触れてみるとなにやら濡れている。「水?・・・」
流石にもうダメだ。
振り返ると転げるように走って下山した。
山崎駅周辺まできてようやく人心地つき、街頭の明かりの下で身体を確認してみる。
眉間をはじめ、どこにも異常はない。
ただひとつ、後頭部だけが濡ていることに気づいた。
全体としてそれほど汗をかいていなかったのだが、頭の、それも耳から後ろの頭髪だけが泳いだあとのように濡れていたのだ・・・
翌日だったかどうかは忘れたが、後日真っ昼間に現場に行ってみた。
あの時感じたものは今は感じない。
ただ、やはりそこだけすこし窪んでいるようにみえる。湿気がたまりやすい場所なのかも知れない。
そういえば、T字路ではいつも右折するのだが、左折すると何があるのだろう、と思い左折してみる。
階段があるので登って行ってみて仰天。
「十七烈士の墓」じゃないか!
例のポイントのすぐ左上にあたる部分だ。
何で今まで気がつかなかったのか?
禁門の変(蛤御門の変)で集団自決した方々の墓所である。
そして、気がついた。
墓所こそ、この小高い丘の上にあるが、現場はここではなかったのではないか?・・・
実は、つい最近、さらに衝撃的な事実を知った。
残党掃討のために新撰組はこの地まで追ってきたのだが、既に全員自決していたというところまでは現場に立っている碑文にもあるとおり。
ところが、
「彼らの遺骸は一旦付近に埋葬されたのだが、花・線香をたむける人が絶えないことをよく思わなかった何者か(幕府関係者といわれている)が、墓を暴き、遺骨を付近の竹林の中に取り捨ててしまった」らしい。
そして、「明治元年になってようやく現在の場所に改葬された」と。
つまり数年間のあいだ、17烈士の身体は竹林に散らばったまま供養されずにいたということだ。
もっといえば、一旦そうなったものを完全に回収することなど恐らく不可能だったに違いない・・・
あの辺りに生い茂っている竹林は、まさに「彼らそのもの」なのだろう。
あの日はずっと晴れであり、高い竹の梢に水のたまる要素はほとんどなかったはず。
う~む・・・
私はいわゆる「霊感」は無い方だと思っているのだが。
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2002~2003年の取材内容を元に書かれています。