別訳【風姿花伝】
年齢に応じた練習方法について
三十四、五歳、四十四、五歳、五十歳以降
2011.6.18
◆三十四、五歳
ハッキリ申し上げて、この年頃が芸のピークです。
この年頃までに苦手な部分を一通り克服し、かつ、多くの得意技を身につけることが出来ていたならば、その人の名は既に天下に轟いていることでしょう。
逆に言えば、この年頃になっても名がそれほど売れていないようでは、この先も絶対にパッとしないでしょう。
さて、「芸のピークを迎えた」といっても、やはり調子に乗って浮かれてはいけません。
この年頃になれば、これまで手探りでやってきたことの意味がハッキリと理解できるようになり、あわせてこれから先どうすべきなのかということも見えて然るべきです。
もう一度言いますが、この年頃までに芸が完成していなければ、その後は絶対モノになりません。
◆四十四、五歳
この年頃になったなら、たとえどれ程の達人となり、その名が天下に轟いていようとも、ピンで押し通すことなく、よい相方を持つようにしましょう。
自分ではまだまだ若いつもりでも老いは確実に訪れます。
まず身体の俊敏さが失われ、次いで容姿が衰えていきます。
そして、残酷なことですが、客はそれに気づいています。
いかに若い頃ハンサムだったからといって、年寄りになってもスッピンでいこうとするのは無理があります。
悪いことは言いません。舞台にあがるときは面をつけましょう。
若いもんに負けじ、とばかりに細かい芸をしようとするのもやめましょう。
なぜって? ・・・見苦しいばかりだからですよ。
サブパートの相方を立てて、決してでしゃばらず、それでも「花がある」と言われるならば、その人の「花」は本物です。
そして、五十近くになるまで「花」を失わずに持ち続けられようであれば、その人は、四十になるまでに必ずや天下の名声を得た人であるハズ。
また、それほどの人であれば、老化が自分の芸に与える影響ぐらい知り抜いていて当然です。
◆五十歳以降
ハッキリ申し上げますが、この年頃になったなら現役からは引退するべきです。
千里を翔る麒麟も、老いては駑馬に劣るというではありませんか・・・
しかし、真の役者というものは、声も身振りも容姿もみな衰えて、やれる演目が何もなくなってしまったとしても、なお「花」を保つことができるのです。
我が父、観阿弥こと秦清次は五十二歳で亡くなったのですが、その死の2週間前に静岡の浅間神社の舞台にあがりました。
そして、あれこれと細かい芸は全部若者たちに譲り、ほとんど何もせずにサラッと出演しただけだったのですが、かえってそれが粋に感じられ、その場に居合わせたものは皆、激しく感動しました。
・・・父の持つ「花」に圧倒されたのです。
身びいきだと思われるかもしれませんが、私は、これこそが本物の「花」だと思いました。
これはたとえば、古い樹木の葉が散り枝が落ち、枯れ木になってしまっても、花だけ散らずに残っているようなものです。
「そんなことがあるのか?」と思われるでしょうが、私はこの目で確かにそれを見ました。
生涯散ることのない花。
それは確かに、あるのです。