別訳【無門関】
第1話 趙州和尚とイヌ 原題「趙州狗子(じょうしゅうのくす)」
ある人が、趙州和尚にたずねました。
「ねぇ和尚さん、この世の全てのものには、仏性(ぶっしょう=仏になれる可能性)があるっていいますけど、それは犬ころにもあるんですかね?」
趙州和尚は言いました。
「無(ねえよ)!」
さぁ、これこそ一番大事なポイントだ。
ここのところさえ会得できたなら、オマエはその瞬間から趙州和尚そのものだ。
それどころか歴代の師匠たちと同じ景色をながめ、同じ音を聞くことができるようになるハズだ。
くれぐれもこの「無」を、「ある」とか「ない」とかの議論にしてしまわないように注意しろ。
とにかくこの「わけわからなさ」に、全身全霊を傾けて取り組むことだ。
そうしていれば、いつか必ず答えがひらめく時がくる。
まぁ、その答えがわかったといったところで、それはまるで唖(おし)の人が夢を見たようなもので、ただひとりでしみじみと噛みしめるほかないようなものなのだがな・・・・・・
ただ、これによって得られるパワーは恐るべきもので、驚天動地なんてレベルじゃない。
たとえば屈強な戦士に破壊力抜群の武器を持たせたようなもので、「仏」と出会ったら「仏」を瞬殺し、「師匠」と出会ったら「師匠」を瞬殺してしまう。
いずれ死ぬ時がくるからからといって悩むこともなければ、生まれ変わった先の心配をすることもない。
楽しみも苦しみもすべて飲み込み、心も身体も自由自在となれるのだ。
とにかくギブアップせずに考え続けることだ。
いつか小さな種火を近づけただけで、ごおっと燃え上がる時が必ずくるのだから。
もう一度言おう。
犬ころが仏になる可能性があるのか?
これこそいきなり仏の最終問題。
「ある」とか「ない」とかで考えるなよ。
瞬殺されるぞ!