別訳【内藤湖南】
学変臆説 2.大分裂の時代
2008.12.30
ローマ帝国によるヨーロッパ統一は、プラトン、アリストテレスらのギリシャ哲学とキリスト教を融和することで、思想世界統一の可能性を示してみせた。
(ローマ帝国が統一する前のヨーロッパは小さな国々が割拠していただけであり、「移り変わり」といったところで、それぞれの国の中だけのことであったので、今ここでは議論の対象としない)
そのおかげで教会は帝国が滅んでも、次の新しい国にその強大な権力を持ち越して保ち続けることができたのである。
後には、独裁や専制がはびこって、儀式や格式を「人の心」よりも重んじたりする弊害が発生してしまったりするわけなのだが、それでも当時は「神が全てを統治するのは当然」であるので、その代理執行者たる神職者たちが権勢を振るうのは当然のことだと、誰もが考えていたに違いない。
その時代に彼らが、自然科学の分野においても「地球は全宇宙の中心だ!」とか、「人間様は動植物の頂点だ!」とかを固く信じていたのは、決して宗教統一が原因なのではなく、当時はそういう風潮だったからと考えた方がよかろう。
そうこうするうちに、ギリシャ古代文学の復活、サラセン人経由のアジア教学流入など様々な要因によって、徐々に「自由思想」というものが形成され、ついに「宗教革命」が勃発して教会はその強大な権力を失うに至った。
ただ注意しなければならないのは、ここでうたわれた「信仰の自由」なるものは決して「政教分離」などの観点から言い出されたものではないということだ。
ここで「宗教革命」と呼ばれているものは、実は単なる宗教団体の内部分裂に過ぎない。
「オマエの信じるその「神」は、オレ様は信じない。オレ様はオレ様の「神」を信じる!」ということになっただけの話である。
それまで神職者たちが提供してきた「神」の解釈では人々が飽き足らなくなったがために、ついに教会はその権力を失うに至った。
で、その分散傾向は今に至るまで続いており、国家はもちろん、諸々の学術まで分裂してしまった。
根本中心を求めるのではなく、どんどん枝葉末節を追い求める方向へと向かってしまったのだ。
「宇宙の中心」だと信じられていた地球は、無数にある恒星のひとつに従属する星に過ぎなくなり、「万物の霊長」と信じられていた人間は、「哺乳動物の一種」ということになってしまった。
そして農工商などの各種産業は「分業」の度合いを益々強め、諸々の学問は細分化に走るばかりで相互の連絡を途絶させてしまった。
(遂には、君主中心ではなく「人民の誰もが中心」などということに・・・)
それもこれも、この「分散化傾向」のなせる業なのである。
政治も宗教も「人間を統治する」という目的においては同じものであったハズなのに、政治家は「政治」の世界に閉じこもり、宗教者は「宗教行事」に明け暮れるのみとなってしまった。
挙句にはこの状態を称して「政教分離」とか、「三権分立」とかわけのわからないことを言い出して胸を張る始末・・・
で、このような分裂・分散化傾向というのは、もうかれこれ4、500年も続いてきたのである。